前回に引き続き、今回もスピリチャル・フェミニスト伊田広行の、トンデモ発言を取り上げます。
伊田広行 インタビュー | カフェグローブ(更新日:2001年6月19日)より。
-では、恋人や夫婦、家族さえ「他者」だとするシングル単位の恋愛・結婚観も、私たちをハッピーにしてくれるのだろうか。
「もちろん! そこにあるのは抑圧の少ない、生き生きとした新しい関係、エロティックでセクシュアルな関係です。なぜなら、制度ではなく、スピリチュアルなものでつながることができるから。どう、なにか見えてきましたか?」
あ、あの〜。。「もちろん!」って、それ、大嘘だよねえ?伊田の提唱しているシングル単位というのは、本当に「フェミニズム」と関係あるのかねえ?どうも違うように見えるんだけど、気のせいじゃないよねえ。。たとえば、著名なフランス人フェミニスト、バダンテールはこう述べておりますが。
以下、
エリザベット・バダンテール『迷走フェミニズム これでいいのか女と男』新曜社/2006年より。
フェミニズムの一番の存在理由は男女平等を実現することであって、男と女の関係を改善することではない。フェミニズムはそのための闘いです。男女平等が実現されれば、男も女も幸せになる、と主張したことは一度もありません。
フェミニズムはあらゆる人間の問題をすべて解決するような全体主義ではありません。共産主義が約束した「輝ける未来」ではないのです。フェミニズムの目的は幸福の実現ではなく、不満の原因になっている男女格差を取り除くことです。権利の獲得と幸福の実現は別の次元のものなので、混同してはいけません。
(P173、エリザベット・バダンテール『迷走フェミニズム これでいいのか女と男』新曜社/2006年より引用))
私は、どっからどう見ても、どの角度から目を凝らして見てみても、バタンテールの主張のほうが、現実の社会に適合したフェミニズムだと思うけどなあ。
ちなみに、企業における「男女平等の実現」っていうのは、まずは「同一労働同一賃金」を原則としてまず実現した上で、伊田みたいなトンデモさんは、トンデモさんなりの地位に行き、能力のある人は性別に関係なく、それなりの地位につく、というような「適材適所」を実現することだと私は思うのですよね。
でもね、どうも伊田みたいなトンデモさんが発言の機会を得ている現状を見ると、大学という組織においては「適材適所」の実現どころか、ご自分が学生に教える立場にあるにも関わらず、自分自身の専門分野さえも理解していない、要するに、能力のない人が何らかの理由によってその世界に紛れ込んでしまっており、それが「許されてしまっている」という問題がありそうですよね。。どこの分野でも若手研究者はたくさんいますし、伊田よりも大学教員として優秀な人は、いくらでもいると思うのですが。