admin

以下、『Amy Says(エイミー・セッズ) 』(山田詠美著・新潮文庫)の引用メモを発掘しましたので、まとめを兼ねまして、こちらにアップ。
Amy Says(エイミー・セッズ) (新潮文庫)
Amy Says(エイミー・セッズ) (新潮文庫)山田 詠美

おすすめ平均
stars肝に銘じるべき
stars痛快
stars彼女の根っこにあるもの
starsI know what you mean.
starsAmy流価値観

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


山田詠美さんの作品に貫かれている思想の1つは、"It's None of Your Business"(=余計なお世話・過度な介入を良しとしない考え方の人がよく使う表現)ですが、このエッセイ集にもそれが出ていて、読んでいて、すごく楽しい(笑)。以下、ところどころ中略がありますが、とりあえず。

【目次(のようなもの)】
親しき仲には
自分はさておき
御用の資格
すごいもんの行方
自堕落ポンちゃん
テーマ:読了本 - ジャンル:本・雑誌

タランティーノ監督作品「デスプルーフ」とロドリゲス監督作品「プラネットテラー」についてのメモ。まず動画を。


あと、タランティーノの日本語訳インタビュー。
★タランティーノが語りつくす!「デス・プルーフ」の濃厚な裏ネタ
http://eiga.com/special/show/1292_0

ところで、いくつかこの映画に関する感想や映画評を読んでみましたが、この座談会の記録(↓)が、一番おもしろかったです(笑)。タランティーノ監督作品「デスプルーフ」とロドリゲス監督作品「プラネットテラー」についての、ラブピースクラブの方々のトークが読めます。

特別企画 映画座談会!「あなたは『グラインドハウス』(デスプルーフ&プラネットテラー)を観たか!?【ラブピースクラブ】

以下、個人的に、なるほど、と思った箇所をメモ化。

(略)高橋:でも、フェミニストで誰か騒いでる人はいなかったんだよね?

坂井:逆にフェミニズムにこだわらない女の人の方が、「強い女サイコー!」とか、「109で広告打ったらもっとヒットしたのに」とかブログで書いてたりしてて。あれ? フェミ業界、誰もこれ見てない? みたいな。

北原:あたりまえじゃーん、こんな映画、フェミは観ないよー。ハハハ!!

坂井:なんでそうなの?

北原:もしこういう映画を受け入れる女がいっぱいいるフェミ業界だったら、日本のフェミ状況って、もうちょっと明るいんじゃないの? 死にたくなるような、苦しいことばかり書いたり、言ったりしてるんじゃなくてさ、こういう映画を女性会館とかで、流せばいいのよ!


テーマ:雑記 - ジャンル:学問・文化・芸術

フェミニズム、と一言でいっても、その内容はといえば様々でありまして、というか、正直言って、バラエティに富び過ぎているからか、「あ、それなら納得できるな。」という比較的まともなものから「トンデモだな〜」とどうしても思えてしまうものまで沢山ありまして、一つ一つ体系的に説明していくと、収拾がつかなくってしまいますし、私個人も、フェミニズムという思想を事細かに知っているわけでもないので、以下、いきなりではありますが、「もしも私がフェミニストだとすると、コレだな。」と常々思っている、「リバタリアンフェミニズム」についての覚書き。

まず、ここでは、おおまかな定義として、第1部 リバタリアニズムのキーワード(森村進 編著 (2004) 『リバタリアニズム読本』 を引用してくれている立命館大学内のページ)の説明を採用します。以下引用。

8 個人主義的フェミニズム individualist feminism

 個人主義的フェミニズムがリバタリアンフェミニズムと呼ばれるのは、個人の選択の自由と自己責任を根本的な価値と考えるためである。(P22)

 個人主義的フェミニズムは、男性と同様に女性にも自然権が保証されるべきだと主張するが、それは正しい法の下で男性と女性が等しい取り扱いをされることを意味しており、決して政府による優遇措置を要請しない。(P22-3)

 個人主義的フェミニズムが目を向けるのは、”集団あるいは階級”としての女性ではなく、あくまで”個人”としての女性である。(P23)


次に、日本で一番有名かつ頭脳明晰なリバタリアン・フェミニストである藤森かよこ先生のHPを読むことで、リバタリアン・フェミニズムの、大まかなイメージを掴んでみましょう、というコーナー。

まず、リバタリアニズムについて藤森先生が言及していた箇所を。中島哲也監督の『下妻物語』を絶賛する藤森かよこ先生。私も下妻物語は見ましたが、非常に感動しました♪

日本リバタリアン文学&映画第一弾! [08/09/2006]

(略)リバタリアニズムのいいところは、人間が自分自身で心から納得して選択した生き方に関して、他人のその同じ権利を侵害しない限り、物理的強制力(暴力)に訴えない限り、その中身自体には関与しない、規制しない、価値判断しないという点です。

「共通善」と照らし合わせて、こういうのはまずいとか言う「倫理的規制」もしないです。私自身、安楽死も麻薬使用もポルノも、規制する必要があるのか?と思っています。本人が納得して選んだことならば、好きにさせとけと思っています。それで死んでも、別に構わないではないですか。自分が選んだのだから。

私は、「異常なるお節介」だから、一応は、「これはまずいんじゃないか?」と思ったときは、愛する人々に、はっきり意見を言いますが(どうでもいい人には言わない)、あらかじめ諦めつつ、あえて言いますよ。私の意見を採用するか採用しないかは、その人の自由。人間には、傷つく権利だって、不幸になる権利だって、あるんだから。愛する人間が、あえて不幸になり、あえて傷つくのを見守っているのは辛いことではありますが、しかたない。

その人の人生は、その人のものだもんね。もう、その人の守護霊さんに、「この人を守って差し上げてください。よろしくお願いします。私は何ともできないので」とお願いする以外に、なす術がない。


次に、本題のリバタリアニズムとフェミニズムの関連について。
弱くて運が悪い人間は滅びるしかない [01/31/2004]

私はフェミニストではあるが、家庭内暴力の亭主に殺されてしまった女性に同情しない。こういう事件は悔しさで涙は出るが、加害者は死刑!と思うが、被害者に同情はしない。

フェミニズムは、無用心で馬鹿で努力もしなくて情報収集もしなくて怠惰に甘ったれている女を、さらに甘やかす思想ではないです。「機会の平等は絶対に確保するべく徒党を組もうね、女だからということだけで搾取されないように気をつけようね。頭悪いとコケにされるからね。自由でいたかったら、女もそれに見合うだけの勉強も努力もしようね、責任もとろうね、負けることはあるけど、男だってほとんどは負けるんだからね、女だから負けたとか愚痴いいなさんな、勝てば勝ったで、これもまたきついんだからさ、そういう覚悟持って生きましょうね、奴隷になっていたくないのならばね。アメリカの黒人だって、太平洋戦争や朝鮮戦争で、あれだけ血を流したので、1960年代に公民権運動ができたんだからね」
という覚悟の思想が、フェミニズムです。アホ馬鹿怠け者女なんか、知るか。



「努力すれば報われる」とは、希望ではなく酸素である [01/19/2005]

横暴なつまんない男なんか相手にしないもん、というのはフェミニズムの成果。リスクのある人間関係を引き受けて苦労するのはかなわんわ、結婚したら家事だの育児だの介護だの女の方に負担がかかるのは目に見えているんだから、ならば結婚しない方がいい・・・というのは、勇気の欠如というか蛮勇の欠如というか、好奇心の欠如というか、冒険心の欠如というか、博打精神の欠如というか、駄目でもともと精神の欠如というか、つまりはケチなんだよね。自分が持っているものに執着して、少しでも無くすのが怖くて、ひたすら守りにはいっているというケチ。中途半端に何か持っていると、こういうことになるのかな。

たとえば、結婚って相手のいることだから、はっきり言って自分の努力では何ともならない。亭主が努力したって、馬鹿な女房が賢くなることはない。女房がいくら頑張っても、駄目な亭主は駄目。賢くてハンサムで人柄がいい亭主は早死にするかもしれない。料理の上手な優しい奥さんは鬱病になるかもしれない。ほんと、運だけだよね。

つまり、駄目でもともとの「博打精神」がないならば、結婚なんかできない。5つ試して、ひとつあたったら「大当たり!」とする「博打精神」よ。人間関係に関しては、「安全確実元金保証の投資精神」では構築できません。


完全に同意であります。「フェミニズムとは何の関係もないわ!」「あんなヒステリーで不細工なオバさんたちと一緒にされるのはイヤだわ!」と思っている女性が日本にもたくさんおりますが、藤森先生が言うようなフェミニズムならば賛同できるという人も多いのでは、と個人的には思います。

(あと勘違いされると何なので一応書いておきますと、確かに、もしも既存のフェミニズムの分類から自分の思想に当てはまるものを選んだとしたら、個人主義的フェミニズムに該当するのですが、個人的かつ主観的には、リバタリアニズム>>>フェミニズム、という感じなので、個人主義的フェミニズムというものが独立として存在しているというわけではなく、そもそも、リバタリアニズムに個人主義的フェミニズムが含まれている、という理解です、あくまで私は。)
テーマ:雑記 - ジャンル:学問・文化・芸術

まず、男性学に関心がある身としては、日本で一番の「男性学の権威」とされている伊藤公雄さんの著書は、読まねばならないはず、なのですが、この伊藤センセイの本、本屋でチラっと読んでみたんだけど、けっこうトンデモなんですよね。。で、結局、買わなかったので手元には無く、ツッコミ入れるにも入れられないのが、ちと残念。参考までに、以下、ネット上では、この方の批判が一番的を得ている感じがしたので引用。

★伊藤公雄先生の『男性学入門』 - kalliklesの目のなかの丸太日記
http://d.hatena.ne.jp/kallikles/20060309/p1

(略)む、この本でもミードの研究が同じように表にされているぞ! そして今度は「M. ミードの研究による」と書いてあるだけで、どの本かさえ書いてない。

(略)文献リストもなし。なんじゃこら。ふざけるな。ちなみに部族名はそれぞれ「アラペシュ」「ムンドグモル」「チャンブリ」になってる。あれ、本文ではチャンブルになってる。なんで変えたんだろう? 誤植なんだかなんなんだか、2年で7刷も出してるのに。 (以下略)


右のリンクにもあります「研究ごっこ」Q&A(トンデモ研究を見破る知恵。)を参照していただけるとわかるかと思いますが、

引用文献がない
 まっとうな研究なら先人の研究をきっちり引用した上で、それを踏まえて自分の論を展開します。ですから脚注や巻末の参考文献一覧には多くの参考文献が書かれています。ところが「研究ごっこ」の著者は自分の「研究」だけが絶対だと思っていますから、他人の研究をあまり参考にしません。引用文献がほとんどないか、あっても啓蒙書や入門書ばかりだったり、著名な専門書や論文が入っていないようなものは「研究ごっこ」と思った方が安全です。


のは「研究ごっご」の最大の特徴の1つであります。

★ 「マーガレット・ミードの表」問題その後
http://d.hatena.ne.jp/kallikles/20060320/p1

(略)伊田広行先生の『はじめて学ぶジェンダー論』大月書店2004 (ISBN:4272350188)は、この本とミードの『男性と女性』が出典だと主張しているが、それを(「正しく」?)修正しているのだから、伊藤先生か井上先生か村田先生を参照して出典が怪しいことに気づいているのにそれを書いてない。おそらく幇助?

これひどすぎる。インチキ! 諸橋泰樹フェリス女学院大学文学部教授は剽窃野郎で有罪。伊田先生は出典を隠して灰色、井上先生はもっと薄い灰色というかほぼ白(村田先生の文献の参照を忘れただけかもしれない)。伊藤公雄京都大学文学研究科教授は無批判孫引き野郎で学者としてまじめに相手するに値しない。と考えてしまってはちょっと言いすぎかな。

まあしかし、ちゃんと自浄できないまま引用しあう学者社会はだめだ。(以下略)


で、検索したら、、不憫なことに、伊藤センセイの「権威」を信じてしまった方のブログを発見してしまったので、以下。

★哲学、性犯罪、男性学。
http://d.hatena.ne.jp/CLAIRE/20061129

(略)男性学の学者である伊藤公雄氏は、男らしさというものは次の三点によって構成されていると言います。即ち、「優越志向」「所有志向」「権力志向」。これらが無ければ「男らしくない」と言われてしまう訳です。

勿論、これらは言葉を変えて現れます。つまり、例えば優越志向というのは、「誰々に負けるなんて!」という言い方で植付けられたりする訳です。男性に対してこれらの事を望む社会にあっては、性犯罪やドメスティック・バイオレンスを犯す男性犯罪者は、その犯罪者固有の性癖の故にそれらの犯罪をした、とは、必ずしも言えないのではないでしょうか。

つまり、性犯罪やドメスティック・バイオレンスは、個人的な問題ではなく、社会的な問題なのではないでしょうか。だからと言って、男性によるそれらの犯罪を憎まず、理解の余地を与えよと言っている訳ではありません。

そうではなくて、なぜ性犯罪やドメスティック・バイオレンスといった、性別によって加害者や被害者が決まりかねない様な事件が起こるのか、その社会的背景を問うべきだと思うのです。理論を学んだり、社会背景に疑問を持ち、それを追究するという様な事は、学生だからこそ出来るのではないでしょうか。


うーん、いいたいことはわかるけど、ちと違うかなぁ。。男性学・女性学うんぬん以前に、犯罪者の「個人的資質」にフォーカスするか、それとも「社会背景」にフォーカスするか、という認知フレームは、「西洋人vs東洋人」という、その人が属する文化そのものに固有であって(宗教とか民族性とかいろいろな要素が絡まって、モノの見方そのものがちと違う。)、この人が日本人である以上、「社会背景」を“問いたがる”のは、当然、というか。

木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか
木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるかリチャード・E・ニスベット 村本 由紀子

おすすめ平均
stars参考になります
starsプレゼンみたいな・・・
stars視覚における認識の西洋人と東洋人の差。
stars西洋人は狩猟民族ではない
starsコンテクストの相違が与える思考と認識の文化学

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

なんていうのかなぁ。。これは、私が生物学的男性ではない以上、断定できないし、単なる想像なのですが、そもそも「個人的資質」を問いたがらずに「社会背景」を問いたがる傾向を持つ東洋人が、なおかつ生物学的男性であり、彼が主体となって「男性学」を研究してしまった場合、東洋人かつ生物学的女性が主体となって研究する「男性学」よりも、過度に「社会背景」ばかりを問題視してしまい、印象としては「防衛的」になっているような感じがするんだよねえ。。

「俺が悪いんじゃなくて、社会背景や文化が悪いんだよ。」「社会背景や文化に、俺は“洗脳”されてしまった被害者なんだよ。」みたいな。。確かに、日常会話で使われているところの「自由意志」という言葉が内包しているほどの「自由意志」を人間は持ってはいないというのは認知科学分野では判明しておりますが、だとすれば、「洗脳された被害者としての男性」を問うのと同時に、「洗脳そのものを作り出して商売している加害者としての男性商人」も問わなくちゃだし、社会背景だけじゃなく「各男性の個体差」にも注目した上で、「洗脳耐性が低い男性」(洗脳されやすい男性の特徴)なども、問わなくちゃ、だよね、と思いますわ。

以下、関連事項だな、と私が勝手に思った記事をメモ。
★EP : end-point 科学に佇む心と体 Pt.1: 人格障害という輸入概念と文化心理学的解釈
http://am.tea-nifty.com/ep/2004/10/eastwest.html

いや、人格障害論の各書籍も要チェックだけど。文化差がいかに人間の思考と知覚に如実に影響を及ぼすかが、大量の証左とともに多面的に検証してくれている。

要するに、高岡らの反人格障害論はめっちゃ東洋的なんですよ。
環境原因を考察する。環境要因にまず注目する。
これは文化差じゃん!

西洋のお方がたは個人に要因を求めるんですってよ。
東洋は、個々よりは包括的な環境や背景を考察したがる。

西洋が手をくだせば結論は「人格障害カタログ」になるし、東洋的には「それはヘンでしょ、環境要因や心の変遷が無視されてるぞ」という話になるのはもうしごく当然のなりゆきなわけで。

何やら意味深かつ複雑そうな「反人格障害論」の流れが、この「木を見る西洋人森を見る東洋人」を経たらあっさり「な〜んだ」になってしまう感じなのが、ことの重大さを不用意に軽く見せてしまいそうでちょっとアレだけれど。でも読み合わせに絶オススメなツボ。

人格障害に関する議論をなさるお方には、これ目を通しておいてくれるとかなりインパクトあるんじゃないかと。


★奇妙な言動が目立つ変わった男。 - hotsumaのURLメモ。
http://d.hatena.ne.jp/hotsuma/20071217/p1

中年期ぐらいまでに起きる殺人自殺 murder-suicide は、重篤な精神病理を有した男性(Rosenbaum,1990;Marzukら,1992)や、同様の状態にある(この場合は対象が自分の子供だが)母親(Marzukら,1992;Friedmanら,2005)の手によることが多い。

オーストリアのデータでは、統合失調症は男女において殺人の加害者となることと関連し(男性で5.85倍、女性で18.38倍)、妄想性障害は男性において殺人の加害者となることと関連する(男性で5.98倍) (Schandaら,2004)。統合失調症スペクトラム障害*1の患者では、妄想的な認知スタイルが暴力に関連する(Nestor,2002)。青年期の統合失調型人格障害、統合失調質人格障害、妄想性人格障害は、青年期から成人期早期にかけての暴力を予測する(Johnsonら,2000)。

テーマ:雑記 - ジャンル:学問・文化・芸術

(12月29日;博識な友人よりコメントを頂いたので、「続きを読む」部分に追記あり。)

『<性>と日本語 ことばがつくる女と男』(中村 桃子著)読了。感想を短くまとめますと、差別的発言が多く、何か違いしている日本のオジさん連中を再教育するのに非常に良い本だと思いました。以下、気になった箇所だけ引用し、ツッコミ。
〈性〉と日本語―ことばがつくる女と男 (NHKブックス 1096)
〈性〉と日本語―ことばがつくる女と男 (NHKブックス 1096)中村 桃子

日本放送出版協会 2007-10
売り上げランキング : 6373


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

そこで提案されたのが、アイデンティティを言語行為の原因ではなく結果ととらえる考え方である。私たちは、あらかじめ備わっている<日本人・男・中年>という属性にもとづいて言語行為を行なうのではなく、言語行為によって自分のアイデンティティをつくりあげている。

(中略)ジェンダーでいえば、<女/男>というジェンダーを、その人が持っている属性とみなすのではなく、言語行為によってつくりあげるアイデンティティ、つまり、「ジェンダーする」行為の結果だとみなすのである。そして、私たちは、繰り返し習慣的に特定のアイデンティティを表現しつづけることで、そのアイデンティティが自分の「核」であるかのような幻想をもつ(p27)


それは、ある意味、当然のことであるし、また別の意味では違うかな、と。『<日本人・男・中年>という属性にもとづいて言語行為を行なうのではなく』というのは当然のことであって、もしも<日本人・男・中年>という属性の人が言語行為を行うとすれば、それはその人の属性そのものではなく、「社会的地位」や「社会的役割」や、またそれらを含む男性の「主観的自己評価」(よって客観的に見れば勘違いアリ)に基づいて為されますです、はい。

私たちが、「女ことば」を「女が話している言葉づかい」だとみなすのは、「女ことば」が、たんに女性の言葉づかいであるばかりでなく、女性の言葉づかいの規範、「女はこのように話さなければならない」というルールのようなものとして認識されているからである。「女ことば」は女らしさに不可欠な規範とみなされているが、男性はつねに「男ことば」を守らなければいけないとはみなされていない。

その証拠に、女子は「女の子なんだから、もっとていねいな言葉づかいをしなさい」と注意されることがあるが、男子は「男の子なんだから、もっと乱暴な言葉づかいをしなさい」とは注意されない。不思議なことに、「女ことば」という言語資源には、「女はこのような言葉づかいをしている」という知識だけでなく、「女はこのように話さなければならない」という規範が含まれているのである(p38-40)


言ってること自体はわかりますが、これもテーマが「ジェンダー」だからだと思いますが、ちと違うかな、と。はっきり言って、どうして「日本語」においてここまでジェンダー規範が強いかといえば、それは「平民が多いとされているから」だと私には思えてならない。要するに、人と人とのあいだに差異を見出そうと思えば性差だけでなく、他にもたくさん差はあるんだけど、平民が多いという前提を採用するとどうしても、ジェンダーに一番注目しちゃいがち、っていうか。。でも、どうも日本のジェンダー学界では、「貧富の差」や「階級差」や「階層差」などは「ないことになっている」ので、そこに分析のメスが入れられていないだけ、なんじゃ、と。(これ、日本で有名な心理学者・小倉千加子さんも似たようなことを書いていた気がしますし、小倉氏の本が売れている以上、多くの女性は彼女の分析に同意しているのでは、と思ったりも。)

それと、日本語には『「女はこのように話さなければならない」という規範が含まれている』という箇所には同意しますが、その「規範」に「乗るか、乗らないか」の判断は、その人がそうするインセンティブがあると感じる方向へと伸びていきます。その「ルールのようなもの」に従うかどうか、またその「ルールのようなもの」がどの程度規範的に作用するかどうかは、男女という性差がどうこうよりも、貧富の差・階層差・階級差から生じる部分が大きいのでは、と私にはどうしても思えてしまいます。(たとえば、年収100億円の企業家で、性別は女性である人物を思い浮かべてみましょう。そこらへんのふつうのサラリーマンが、男であるという点だけを根拠に、彼女を「ルールのようなもの」に従わせることは可能でしょうか?)
テーマ:読了本 - ジャンル:本・雑誌

以下、2004年12月のメモ用ブログより転載。
書籍『恋も仕事も思いのまま』ヘレン・ガーリー・ブラウン著(集英社文庫/1988年)。
ヘレン・ガーリー・ブラウンは1922年生まれの女性で、元コスモポリタン編集長。なおかつ、彼女の夫は映画監督。(「ジョーンズ」を撮った人。)



現在は、出版社とタイトルが変更になり、以下の本(↓)になっている様子。
恋も仕事もやめられない! (文春文庫)
文藝春秋
ヘレン・ガーリー ブラウン(著)Helen Gurley Brown(原著)小林 理子(翻訳)
発売日:2001-11

ここ2,3年で、日本でも「女性向け自己啓発本」がかなり出版されるようになりましたが、本書はアメリカにおける女性向け自己啓発書の「古典」でありまして、情報としては古いですが、内容としては読んでいて非常に面白いのであります。

以下、本文より、「おお、同感ですわ。」とか「おお。面白いな。」と思った箇所を引用。
テーマ:オススメの本の紹介 - ジャンル:本・雑誌

以下、さきほどアップした「統一性の追求(1)」(概論部分)に続いて、書籍『孤独―新訳』アンソニー・ストー著、第10章の自己の内部に統一性を追求した個人の例として、カントとヴィトゲンシュタインのパーソナリティについての、引用メモ。
孤独―新訳
創元社
アンソニー・ストー(著)
発売日:1999-03
おすすめ度:5.0
おすすめ度4 人間関係だけが有意義と言うわけではない
おすすめ度5 情報化社会における「孤独」の意味
おすすめ度5 名著
おすすめ度5 創造性の源
おすすめ度5 Lonleyではなく、Solitudeであること。

第10章 統一性の追求(2)

★今まで提起したことが正しいとすれば、対人関係を最大の関心事としない人生に意味と秩序を発見したいという要求に特別に心を奪われている個人の特徴としては以下が考えられる。

・内向性が強い
・親密な関係を避けたり、関係をつくることに困難を覚えることが多い
・自分の物の見方を自主的に発達されることに特に関心を持ち、他人による早まった詮索や批評から自分の内的世界を守り、普通の人ほど他人の考えに左右されることがない
・自尊心と個人的な充足感の主要な源泉を、対人関係よりもむしろ作品に求める

 →人間関係を避け、自分の研究を詮索から守り、自主性に強い関心を抱き、自尊心と個人的な充足感の主要な源泉として自分の研究に頼る、ような人。

 #よって、対象関係論者の主張とは異なり、対人関係が人間の安定と幸福の唯一の源泉ではないという仮定が正しいとすれば、対人関係によって充足感を求めるのではなく、自分の仕事によって、人間に通常思いがけなく訪れる程度の安定と幸福を達成している人を、別に示すことができるはずである。

 #私たちは皆、世界の中になんらかの秩序を見出し、自分の存在をいくら解明する必要がある。そういう探求に特別に関わる人たちは、対人関係が情緒的充足を見出す唯一の手段ではない、ということを証明する存在である。

★西洋の最も独創的な哲学者たちの大訓は、知性的に非凡であっただけでなく、他の面でもまた並外れていた。哲学者たちが取る精神的姿勢は、極めて独創的な科学者も含めてほとんどの科学者が取る姿勢とは、かなり異なっている。

★カント、ライプニッツ、ヒューム、そしてバーグレイが揃って主張したことは、自分が哲学に貢献できたのは、先人たちの影響から逃れて、過去につながっていない自分の自主的な道をたどったことによるものだ、というものであった。また、ヴィトゲンシュタインも同様の主張をしたが、彼もまた、内向性の哲学者の一例であり、ことのほか孤独を尊重し、外からの影響はほとんど受けていないと主張し、事実、自尊心の主要な源泉を自分の業績に求めた。
テーマ:オススメの本の紹介 - ジャンル:本・雑誌

以下、書籍『孤独ー新訳』アンソニー・ストー著、第10章の引用メモ。

長いので、この(1)では大まかな概論を、(2)では自己の内部に統一性を追求した個人の例として、カントとヴィトゲンシュタインのパーソナリティについて、2つに分けてアップ。
孤独―新訳
創元社
アンソニー・ストー(著)
発売日:1999-03
おすすめ度:5.0
おすすめ度4 人間関係だけが有意義と言うわけではない
おすすめ度5 情報化社会における「孤独」の意味
おすすめ度5 名著
おすすめ度5 創造性の源
おすすめ度5 Lonleyではなく、Solitudeであること。

第10章 統一性の探求(1)

★最大の関心が人間関係ではなく、統一性と意味の探求に向けられていた創造的な個人の例を検討。これらの個人は、ユングが内向型人格と呼び、ハドソンが収斂型人格と呼び、ガードナーがドラマ化人間と呼び、明らかに異常であったり障害が見られる場合に、精神療法医が分裂病質と呼ぶ個人を指す。

★ ほとんどすべての種類の創造的な人が、大人になってからある程度他人の回避や孤独の要求を示すが、これらの個人はこの域をはるかに超えている。この人たちは表面的なレベルでは、よい対人関係を結んでいるように見えるかもしれない。しかし、それは、彼らが外向型人格とは異なり、カフカに代表される分裂病質人格とも異なり、親密さの要求をあきらめるようになってしまったからである。

★対人関係がうまくいかなくても、彼らはそれほど精神的障害に陥ることはない。なぜなら、彼らにとっては、ほとんどの人の場合と異なり、人生の意味が親密な関係にそれほど縛られていないからである。

★人は自分自身と比較する他人がいなければ、分離した個人としての自分を意識し始めることさえできない。孤立している人間は集合的人間、個別性を欠いた人間である。人々は、自分が独りでいる時に最も自分自身であるという考えをしばし述べる。

そして創造的な芸術家たちは特に、彼らの中の最も深いところにあるものがその完成した姿を見るのは、自分の芸術を孤独のうちに表現する象牙の塔の中だと信じているのかもしれない。彼らが忘れていることは、芸術が伝達だということであり、はっきり表に出る出ないに関係なく、彼らが孤独のうちに生み出す作品も誰かを目当てにしたものだということである。
テーマ:オススメの本の紹介 - ジャンル:本・雑誌

またしても発見♪2005年1月にメモ化していたらしい。以下、書籍『孤独』(アンソニー・ストー著)の引用メモ。
孤独―新訳
創元社
アンソニー・ストー(著)
発売日:1999-03
おすすめ度:5.0
おすすめ度4 人間関係だけが有意義と言うわけではない
おすすめ度5 情報化社会における「孤独」の意味
おすすめ度5 名著
おすすめ度5 創造性の源
おすすめ度5 Lonleyではなく、Solitudeであること。

第2章 独りでいられる能力(p35-53)より

★ドナルド・ウィニコット(精神分析家)

1958年論文『独りでいられる能力』
Donaid W.Winniott,"The Capability to be Alone", in The Maturational Process and the Failitating Environment (London,1969)

精神分析の文献においては、独りでいられる能力についてよりも、独りでいることの恐怖感や独りでいたいという願望にして書いた論文のほうが多いと言ってもよいであろう。また、かなりの量の研究は、引きこもり(孤立)の状態、すなわち、迫害の予感を暗示する自己防衛態勢についてのものである。独りでいられる能力がもつ積極的な側面についての議論がすでに始まっていなければならないと私には思われる。
テーマ:オススメの本の紹介 - ジャンル:本・雑誌

以下、メモ。

【詳報一覧】渋谷バラバラ殺人 セレブ妻初公判
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071220/trl0712201644029-n1.htm
検察側の主張。

(略)第9 歌織被告が完全責任能力であること

 弁護人は「祐輔さんによる歌織被告への一方的、継続的な暴力や監視・束縛などによって、歌織被告は外傷性ストレス障害(PTSD)になり、犯行当時、心神喪失あるいは心神耗弱の状態にあった」と主張しているため、歌織被告の責任能力の有無が争点となります。

 しかし、検察官はこれまで述べた事実と証拠により、弁護人の主張するような祐輔さんによる歌織被告への一方的な暴力、監視・束縛などはなく、しかも歌織被告にはPTSDに特徴的な症状もないことを明らかにし、歌織被告が犯行当時、PTSDになっておらず、完全責任能力であったことを明らかにします。

 第10 情状関係
 祐輔さんの遺族の処罰感情。
 歌織被告が反省していないこと。


弁護側の主張趣旨。

事件当日、午前4時ごろに祐輔さんが帰宅しました。

 歌織さんは長期の暴力でPTSDとなり、極度の緊張状態にありました。このままでは逃げられないという絶望感を抱え、PTSDにより自分をコントロールできなくなって、ワインの瓶で祐輔さんを殴打しました。

 血で部屋が染まり、祐輔さんが倒れているのに気付いたのです。動かない祐輔さんを見ても、恐怖感はなくならず、祐輔さんを消し去りたいと考え、運搬を計画。しかし、運ぶことができず、損壊した。これが事件の真相です。

 われわれの主張が、検察の冒頭陳述となぜ異なるのか。それは、取り調べに問題があったからです。本来、真実を解明するのは検察の義務。しかし、警察、検察は、本件がなぜ起こったか、耳を傾けることがなかった。

 検察官の1人は歌織さんを「汚いやつが、囲い者が」と侮辱しました。歌織さんの話に耳を傾けず、真実を知る努力を放棄したのです。(完


以下、【詳報一覧】渋谷バラバラ殺人 セレブ妻初公判
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071220/trl0712201644029-n1.htm
より、気になった部分を、メモ。
テーマ:考えさせるニュース - ジャンル:ニュース

引き続き、苫米地英人著『洗脳原論』第6章の引用メモ。(第3章・第4章のメモは無し。)なお、これにて、この本の引用メモは終了です。
洗脳原論
春秋社
苫米地 英人(著)
発売日:2000-02
おすすめ度:4.0
おすすめ度4 現代の宗教問題を考えるとき、必読の文献!
おすすめ度4 呑気なことは言ってられない!
おすすめ度1 説得力に欠ける
おすすめ度4 日本が誇る天才、苫米地先生の洗脳とは何ぞや?
おすすめ度3 『影なき狙撃者』みたいだけど・・・

【目次】
第6章 私の洗脳原論
●哲学と宗教
●哲学は世界を救うか
●規範の欠如
●洗脳への無理解
●洗脳から日本を守れるか
テーマ:読了本 - ジャンル:本・雑誌

引き続き、苫米地英人著『洗脳原論』第5章の引用メモ。(第3章・第4章のメモは無し。)
洗脳原論
春秋社
苫米地 英人(著)
発売日:2000-02
おすすめ度:4.0
おすすめ度4 現代の宗教問題を考えるとき、必読の文献!
おすすめ度4 呑気なことは言ってられない!
おすすめ度1 説得力に欠ける
おすすめ度4 日本が誇る天才、苫米地先生の洗脳とは何ぞや?
おすすめ度3 『影なき狙撃者』みたいだけど・・・

【目次】
第5章 アメリカ洗脳事情
●古典的洗脳
●感覚遮断実験
●ビジネスへの応用
●宗教カルトの誕生
●統合される宗教カルト
テーマ:読了本 - ジャンル:本・雑誌

引き続き、苫米地英人著『洗脳原論』第2章の引用メモ。
洗脳原論
春秋社
苫米地 英人(著)
発売日:2000-02
おすすめ度:4.0
おすすめ度4 現代の宗教問題を考えるとき、必読の文献!
おすすめ度4 呑気なことは言ってられない!
おすすめ度1 説得力に欠ける
おすすめ度4 日本が誇る天才、苫米地先生の洗脳とは何ぞや?
おすすめ度3 『影なき狙撃者』みたいだけど・・・

【目次】
第2章 脱洗脳のプロセス(p37−86)
●アンカーの発見
●アンカーの無効化
●空間の支配
●無意識の共有
●アンカーの確認
●教義に深入りしない
●専門家との協力
●自分の守備範囲を守る
●役割分担
●社会の協力体制の必要
●ゲシュタルトの正常化

以下、非常に長いので、要点をまとめますと、洗脳の典型的手法は精神のゲシュタルトを破壊することであり、過激な自己啓発セミナーなどでも使用されている方法なので、みなさんも気をつけましょう、という感じ。特に「気づきのワーク」「いま、ここ、に集中しましょう」という言葉がセミナー関係者から出てきたらかなり注意が必要。

それと、結局、「論理的思考能力」があれば、オカルトや疑似科学方面へは思考が流れていかないので、科学的・論理的な考え方が、世の中に浸透すれば、こういう事件は減る、という感じ。
・疑似科学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%96%91%E4%BC%BC%E7%A7%91%E5%AD%A6
・オカルト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88
・道田泰司 2003.09『論理的思考とは何か?」琉球大学教育学部紀要, 63, 141-153.
http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~michita/works/2003/kiyo0309.html

あと、念のため書いておきますと、一般的に言っても、常識的に考えても、自己分析や自己啓発それ自体が否定されているわけではなくて(だって、それ否定するとなると、心理学分野のほとんどを論破しなくてはならないし。)、あくまで「消費者」が「営利目的の団体に」「金銭的または精神的に搾取されてしまう」ことに問題があるので、自分ひとりでやるぶんには、もちろん問題なしです。

自己啓発セミナーに関しては、今ではそこまで過激な会社はないらしく、消費者保護の観点からは、あくまで「エンロール」と呼ばれる勧誘手法に問題がある、というのが一般的な理解。その他の洗脳・マインドコントロールによるトラブルに関しては、東京都などの消費者センター(http://www.shouhiseikatu.metro.tokyo.jp/)などを見ていただけると、かなり現状の酷さがわかっていただけるかと思います。
テーマ:読了本 - ジャンル:本・雑誌

以下、メモ用ブログより、苫米地英人著『洗脳原論』の引用メモが出てきたので、まとめを兼ねてこちらにアップ。
洗脳原論
春秋社
苫米地 英人(著)
発売日:2000-02
おすすめ度:4.0
おすすめ度4 現代の宗教問題を考えるとき、必読の文献!
おすすめ度4 呑気なことは言ってられない!
おすすめ度1 説得力に欠ける
おすすめ度4 日本が誇る天才、苫米地先生の洗脳とは何ぞや?
おすすめ度3 『影なき狙撃者』みたいだけど・・・

【目次】
第1章 洗脳とは(p3−p33)
●洗脳の本質
●洗脳のレベル
●変性意識と神秘体験
●洗脳の段階
テーマ:読了本 - ジャンル:本・雑誌

以下、【飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」】より引用。本来なら「大学定員の半減」が一番良い方法なんですよね。

★ちょっと教育論でもぶってみましょう【飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」】
http://wiredvision.jp/blog/iida/200712/200712250100.html

(略)人口減少と大学の定員増によって大学進学のための競争圧力は低下しています。現在の子供達は学力面でそれほど競争しなくてもそれなりの大学に進学できるのです。したがって、ほっておいてもゆとり教育状態にならざるを得ない。ここに外生的に競争を激しくするようなシステムを入れるのは困難です。勉強しても得られる者が少ないならば、子供達は合理的に勉強をしないでしょう[*2]。

ここでお気づきの方もあるかも知れませんが、人為的に競争を抑制することは発展と多様性を阻害する結果にしかならない。その一方で、人為的に競争を促進することは不可能なのです。競争圧力は進歩と多様性の源泉です。したがって、学習の世界にも競争圧力が必要だ。しかし「大学受験競争」はいまや競争圧力として有効ではありません。競争圧力を機能させる一つの方法は大学定員の半減です。しかし、私立大学にこれを強制するのは難しい[*3]。すると、スクリーニング手段として「大学名に変わる何か」が求められるようになると考えられます。

*2 現在の私学ブームは親となった団塊ジュニア世代(最も激しい受験競争を経験した世代)の幻想に支えられる部分が大きいのではないでしょうか。
*3 成功している私立大学ほど補助金への依存度が低い。


それなのに、ある分野の方々は、「消費税を上げる」必要がある、そして「国が」「全く成功していないどうでもいい私大の財政問題を解決すべき」っていう感じの、妙な論理を使って、どうでもいい私大へと税金を流そうとしているんですよね。以下参照。
★大学塾!! Blog: 大学改革スペシャルインタビュー 矢野眞和氏 〜その3〜
http://ac.justblog.jp/djuku/2007/07/post_7f0e.html

矢野 教育経済学者として、また一大学人として、昨今の大学改革論には多いに違和感、不満があります。

最大の問題は、日本の大学は経営を成り立たせる財政基盤が圧倒的に弱く、この点がすべての困難のもとになっているにもかかわらず、ほとんどの人がこれを「仕方がない」として議論の前提のように考えていることです。

インプットがあってはじめてアウトプットがあるというのが経済の原則です。インプットが十分でないものについて、その過程を論じたりアウトプットの質や量を論じても、ほとんど意味がありません。

大学の財政問題に関しては、たとえば全入時代だから経営危機が起きるということがよく言われます。しかし大学進学率は「まだ」50%なんです。この数値を上げ、より多くの入学者を大学に迎えることができれば、危機の条件を大幅に緩和することができます。

【そんなことが可能なのですか?】

矢野 (略)私は長年、消費税を0.5%上げて、その資金を大学教育に提供せよと提言しています。これだけで約1兆円強の財源が生まれ、理論上、日本中すべての大学の学費を現在の半額程度にまで下げることができます。こうした積極的な財政措置により、大学進学率はまだ向上させることができるんです。


はっきりいって、「大学の財政問題」を「税金」を使って解決しようなんて、どうかしてるとしか思えないし、どうでもいい大学は早めに潰れたほうが受験生たちにとっても良いのではないでしょうか。。それに、いくら税金投入しても、どうでもいい大学に好き好んで進学したいと思う受験生なんて、あんまりいないでしょうね。そういうことしても、ただ単に、大学ビジネスをやっている関係者の懐に「税金」が流れ込むだけのことで。。

どうでもいいと言えばどうでもいいことなのですが、タイトルどおりのことを思ったのでありました。以下、読み比べてみて、気づいたのでありました。

★サブプライムローン問題からの教訓 ―貧乏人とは関わるな!―
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51058821.html

こんにちは。藤沢Kazuです。
大変ご無沙汰しております。

さて、今更ながらサブプライムローン問題を振り返って見ましょう。
と言うのも、このサブプライムローン問題に端を発した世界株式市場の同時急落は実に単純にして明確な教訓を私に教えてくれたからです。
それは、貧乏人とは関わってはいけないと言うことです。(以下略)


★【米経済コラム】ウォール街とサブプライムと危険な貧者−M・ルイス
http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003001&sid=a1ZEInxFORv0&refer=jp_commentary

9月5日(ブルームバーグ):米証券会社ベアー・スターンズのヘッジファンドが自爆した直後に、私はこう考えた。「貧しい人にカネを貸すとこういうことになるのだな」と。

念のため言っておくが、私は貧しい人を悪く思ってなどいない。個人的に貧しい人との付き合いもない。誰かにお金を払って庭の芝を刈ってもらえば、それは取引であってそれ以上ではない。しかし、賃金を先払いすれば、それは貸し付けになる。貸し付けは、貧しい人に対してしてはならない行為だ。

注:貧しい人というのは、私のヘッジファンドに投資することを米証券取引委員会(SEC)が許さない人々のことだ。

これが、今回のサブプライム危機から私が学んだ最大の教訓だ。貧しい人について、ほかにも幾つか考えたことがある。それを披露しよう。 (以下略)


原文;A Wall Street Trader Draws Some Subprime Lessons: Michael Lewis
http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=newsarchive&sid=a5lhZkEauCu8

ちなみに、マイケル・ルイスは、 『マネー・ボール』や『ライアーズ・ポーカー』等で有名な人。
マネー・ボール (ランダムハウス講談社文庫)
ランダムハウス講談社
マイケル・ルイス(著)中山 宥(翻訳)
発売日:2006-03-02
おすすめ度:4.5
おすすめ度5 baseballへの片思い
おすすめ度5 メジャー版「弱者が勝者になるために」
おすすめ度5 ビジネスへのヒントが一杯
おすすめ度5 熱い男
おすすめ度4 読め!

ライアーズ・ポーカー (ウィザードブックシリーズ)
パンローリング
マイケル・ルイス(著)
発売日:2005-12-17
おすすめ度:5.0
おすすめ度5 投資銀行のシニカルな側面
おすすめ度4 トレーダーという仕事
おすすめ度5 四十一階にある神々のカジノで、太っちょたちが受話器を投げている
おすすめ度5 個人投資家必読です。



★「格差を認め流動性の高い社会に」
リーダーに聞く:宮内義彦 オリックス会長グループCEO(* 2007年12月21日 金曜日)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20071220/143630/

(略)宮内 規制を緩和することによって、新しい産業が生まれます。

 例えば医療関係で言えば、32兆円産業を50兆円産業にできます。教育も成長分野です。農業は第1次産業ですが、これも規制緩和によって輸出産業として成長できる。こういった成長余力のあるところを刺激して、経済成長率を上げなければいけない。ただ分配の話だけをしていてもだめなんです。

 まず体を大きくすべき。それをせずに、分け前の話だけをしても仕方がない。体を思いっきり大きくして、足りないところに分けていく。これが政治なんです。
今の政治は増税と分配の話しかしません。こんなばかな話はありません。むしろ法人税や個人所得税は減税すべき。最近では経済界も法人税減税については言わなくなってしまいました。

 日本の成長率が4%になれば、増税などしなくても財政問題はなくなります。今こそ、成長率を引き上げるにはどうしたらいいかを考えるのが当たり前だと思うのに、政治はそういう考え方をしません。(以下略)


―― 今の日本人はあまりにも危機感が欠如している、ということでしょうか。

 宮内 海外では、誰も日本のことなんて考えていません。存在感がなくなっています。今の日本は音もなく落ちている感じです。情けないです。こんな情けないことないです。

 日本には山のようにビジネスチャンスがあり、それが花を開かすことできたら、世界的な競争力を持てます。それができない状況を、変えていくべきです。


ところで、NBオンラインの記事で一番ためになるのは、読者からのコメントだと私は思っている。私の意見は、コメント欄のこちらの方々の意見とほぼ同じであります。

2007年12月24日
宮内氏の記事に同感です。今、米国に在住しておりますが、日本という国はもはや誰の興味の対象でもないということを強烈に感じます。この状況をほとんどの日本人は理解できていないのではないでしょうか。日本は経済大国であって初めて現在の地位が保てる国家です。政治や軍事面で世界に台頭できない以上、経済力の維持・強化こそが至近の課題です。安倍政権発足以来のマスコミ報道における格差社会批判は、危機感を持てない井の中の蛙そのものです。宮内氏の主張には、どこにも貧しいものを切り捨てて良いなどとは書かれておりません。努力したもの・能力のあるものに報酬をあたえるべきとするだけであって、これを格差と称するのは出る釘を打つ日本人特有の僻み根性ではないでしょうか。世界がどう動いているか、日本人は真剣に考えるべき時だと思います。


2007年12月23日
宮内さんは日本が現在のように国際競争力を失っているのは、制度・政策に問題があるのであり、これを頑張って変えていかなければ日本の将来はないと言っているだけだと思います。多くの読者が批判的なコメントを書いていますが、日経BPがこの記事のタイトルを付けるに当たり「格差を認め」という部分を抜き出したために、何かそれが宮内さんの主張の中心であるように曲解されてしまっているように思えます。私は宮内さんの意見にはほとんど賛成です。とにかく、早く何か手を打たないとこの国は本当に未来がありません。


2007年12月21日
 宮内氏のインタビューで無ければ素直に受け取れる人も多いのではと思いました。宮内氏本人が『既得権益の受益者』側にいるという認識があるからです。 内容的には、個人的にほぼ異論はありません。仰ること全てに高い論理性や裏付けを求めるのは『何も喋るな』と同義だと思いますし、内容的には今の日本に必要なことを並べていると感じました。 また、『格差』という言葉が日本全体で都合良く使われているようですが、今の日本で欧米でいうような『格差』は存在していないと思います。


結局、「格差」という言葉に纏わる負のイメージを、マスコミ各社が過大に扇情して商売にしてしており、だからこそ、マスコミ言説を素直に信じてしまった日本の人たちが「格差」議論に過剰な反応を示してしまっている。そして、その流れで「分配の正義」を求めるというミスを犯してしまっている。けれども、本来求めるべきは「交換の正義」なんですよね。

と、どうしても経済学畑出身の政治的配慮のある発言をするのが苦手な、そして竹内靖雄氏やフリードマン氏の愛読者である私のような人は思ってしまうワケであります。(でも、公共経済の人はまた違った感想を持つでしょうね、だって「格差」こそ商売ネタだもんね、彼らにとっては。。)
正義と嫉妬の経済学
講談社
竹内 靖雄(著)
発売日:1992-09
おすすめ度:5.0

竹内氏の本は年末にでも再読する予定。それと、ついでに書くと、たまに個人ブログを見ていると、格差対策のためには「最低賃金引き上げ」が必要だとか「法人税引き上げ」が必要だとかいう発言を眼にしますが、そういった政策こそが「格差」を拡大してしまうのです。自分で説明するのは面倒なので、ちと引くと、

■サブプライムからマキアヴェッリへ
http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/20071223/1198420229

これ、確かに難しい問題ではありますよねえ。経済学における専門知と世間知の問題とも絡んできて、間違った経済認識が世間では「常識化」してしまっていつまでたっても有効な政策が行えず停滞してしまう昨今のような状況もありますよね。皮肉なことに中央銀行の独立性は日本の場合むしろ足を引っ張る方向に働いてるのが痛いところでもあるんですが・・・。


という、コメント欄のご意見そのまんまの状況というか。。経済学の知識が一般に普及していないのは知っておりましたし、今後も間違った経済知識に基づいた思考をする人たちはそのまんまなのでしょう。(実際、そういう意見を書いているブログさんのコメント欄では、誰もツッコミを入れずに同調する人たちばかりでしたし。一瞬、ツッコミ入れようかな、とも思ったのですが、通じなさそうなので止めました。。)

と同時に、これからは歴史や地理も大事ではありますが、「政治経済」こそ、高校生にはしっかり学んで欲しいものだな、と思ったりします。もちろん、霊感商法やマルチ商法などに嵌らないための「消費者教育」も含めて。ちなみに、これ(↓)、アメリカの高校で実際使用されている教科書を翻訳した本。この前、高校2年生の従兄弟にあげてしまったのですが、オススメであります。
アメリカの高校生が学ぶ経済学 原理から実践へ
WAVE出版
ゲーリーE.クレイトン(著)大和総研教育事業部(著)大和証券商品企画部(翻訳)
発売日:2005-09-15
おすすめ度:3.5
おすすめ度4 とても勉強に役に立つ
おすすめ度5 基礎の基礎、ただそれが大切。
おすすめ度3 アメリカでは高校生に経済学教えるの?
おすすめ度5 経済学の入門書として最適
おすすめ度4 WSJやFTを読みこなすために

テーマ:経済 - ジャンル:政治・経済

877891_zwetschgendatschi_-_plum_cake.jpg


★「性経験早まらないで」女子大生が訴え【ohmynews】
聖マリアンナ医科大3年、遠見才希子さん
http://www.ohmynews.co.jp/news/20071223/18869
 

「セックスは早まらなくていいんだよ」―― 関東圏を中心に中学・高校生にそう呼びかける女子大生がいる。彼女の名前は、遠見才希子さん(23)、聖マリアンナ医科大学の3年生だ。「気軽に、楽しくまじめに性を考える場が必要」と、2年生の時から一人で講演活動を続けるようになった。

 「中学生や高校生のときって、無理して恋愛してた。彼氏いる子を見ると、自分も恋愛しなきゃって、無意識に焦らされてた。雑誌には、恋愛特集とか、初体験の平均年齢とか、そんな情報がたくさん。高校生にもなれば誰かと付き合って、その先には当たり前のようにセックスがあった」

 8日、都内で開催された講演会で遠見さんは、自身の過去をそう振り返る。

 「今は中高生に『経験早まらないで』と言いたい。私が高校生のときは、誰にも教えてもらえなかった。教えてもらえていたら、自分の体も大切にできたかなって思う」(以下略)


性教育うんぬんは置いておいて、というよりも、性教育うんぬん以前に、「10代の女性」だけを対象とするならば、こういった活動こそが非常に重要だと私は思います。現状をみると、人によっては20代・30代になっても、世間に蔓延している恋愛至上主義に飲み込まれて「ムリに恋愛」している人たちは存在していていますし(その流れで、ムリに結婚→当然ながら離婚、という人とか。)その中には、好きな相手でもないのに好きだと思い込もうとして体調を崩したり精神的に参ってしまったり、性感染症にかかってしまったりする人もいますし。高校生くらいのうちに、遠見才希子さんのような人の公演を聴いて、「ムリに恋愛しなくても良いんだな」と気づく人が増えると良いな、と思いますわ。
テーマ:恋愛 - ジャンル:恋愛

以下、裁判記録に関しては日本一の詳細報道を誇るサンケイさんの「事件>裁判」カテゴリーより。

■畠山鈴香裁判記録■12月21日秋田連続児童殺害事件第12回公判
* 【鈴香被告鑑定人出廷(1)】被告「未発達」の証拠は「ウサギの糞始末できず」(10:00〜10:20)
* 【鈴香被告鑑定人出廷(2)】「母との『へその緒』が切れていない」(10:20〜10:50)
* 【鈴香被告鑑定人出廷(3)】彩香ちゃん殺害、鑑定医の見方は「心中未遂」(10:50〜11:20)
* 【鈴香被告鑑定人出廷(4)】彩香ちゃんが被告に自己変革を要求した?(11:20〜11:45)
* 【鈴香被告鑑定人出廷(5)】被告は「計画性のない人」 豪憲君殺害は衝動的?(11:45〜11:58)
* 【鈴香被告鑑定人出廷(6)】被告の証言「公判でぶれてきた印象」(13:15〜13:45)
* 【鈴香被告鑑定人出廷(7)】鑑定人ダメ出し「人生の大部分を反省しなきゃ」(13:45〜14:00)
* 【鈴香被告鑑定人出廷(8)】「母の子殺しは『無理心中』が常識」と持論を展開(14:00〜14:15)
* 【鈴香被告鑑定人出廷(9)】検察官の追及に「詐病なかったとはいえない」(14:15〜14:45)
* 【鈴香被告鑑定人出廷(10)】攻め込む検察側、笑う鑑定人(14:45〜15:00)
* 【鈴香被告鑑定人出廷(11)】裁判長も一言「被告人を信用できる理由は何?」(15:00〜15:22)
* 【鈴香被告鑑定人出廷(12)】冒頭陳述は動かぬ証拠? 鑑定人が“思い込み”(15:40〜16:10)
* 【鈴香被告鑑定人出廷(13)】起訴前鑑定は検察寄り? 「表現まずかった」バツ悪そうな鑑定人(16:10〜16:40)
* 【鈴香被告鑑定人出廷(14)】彩香ちゃんへの“虐待”「怒りや攻撃性ない」(16:40〜17:10)
* 【鈴香被告鑑定人出廷(15)】検事をあ然とさせた鑑定人の言葉は…(17:10〜17:40)
* 【鈴香被告鑑定人出廷(16)】「人格障害に該当しない!」対峙する検察側(16:40〜17:10)
* 【鈴香被告鑑定人出廷(17)完】「そんなにすぐに忘れるの?」最後まで厳しい女性裁判官(18:10〜18:40)

* 【鈴香被告 最後の質問(1)】「殺意の調書は認めるか?」「ないです」(18:40〜18:55)
* 【鈴香被告 最後の質問(2)完】彩香ちゃん殺害認定なら「控訴」 審理すべて終了(18:55〜19:00)

で、コーヒー飲みながらではありますが、ようやく全部読み終えました。。検察側は「人格障害のほとんどに該当しているというのは違うのではないか」と述べた、と書かれていましたが、人格障害に該当するとしても、今回の鑑定人による「分裂病(統合失調症)質人格障害」という鑑定結果については疑問を持つ人はかなりいるのでは、と思いました。弁護側からは「回避性人格障害」「依存性人格障害」といったところも見られたと鑑定書にはあったと指摘されておりますし、広義の人格障害に当てはまるという点には合意できても、分裂病質かどうか、と問われたとしたら、「違うんじゃ・・」と思う精神科医さんが多いんじゃ、と。とにかく、今回の鑑定人の鑑定結果の趣旨は「精神病ではなく人格障害である」という事のようです。
テーマ:ニュース・社会 - ジャンル:ニュース