以下、引用メモ。
『男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章』 (塩野七生著/文春文庫)より。
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★頭の良い男について
ここで言っている頭の良いということは、おしゃべりしたりする時のために取っておかれる類の基準ではない。ベッドの上であろうと、どこでもいつでもすべての行動を律する、いわば基本、ベースといってもよいものだ。
だから、有名大学の競争率の高い学部を卒業して、一流企業や官庁や大学に勤めている人が、頭の良い男とイコールにならないという例も、しばしば起こるのである。日本では、教育はあっても教養のない男は、まったくはいて捨てるほど多い。
つまり、ここで言いたい「頭の良い男」とは、何事も自分の頭で考え、それに基づいて判断を下し、ために偏見にとらわれず、なにかの主義主張にこり固まった人々に比べて柔軟性に富み、それでいて鋭く深い洞察力を持つ男、ということになる。
なんのことはない、よく言われる自分自身の「哲学」を持っている人ということだが、哲学といったって何も難しい学問を指す訳ではなく、物事に対処する「姿勢」(スタイル)を持っているかいないかの問題なのだ。だから、年齢に関係なく、社会的地位や教育の高低にも関係なく、持つ人と持たない人の違いしか存在しない。
『男たちへ』p14
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★男の色気について(その三)
男というのはオカシな動物で、自分を才能豊かな男であることと忙しいこととは、比例の関係にあると思い込んでいる。私などは、そんなことはないと確信しているけれど、男のほうはなぜか、とくに日本の男の場合はほとんどといってよいくらい、忙しければ忙しいほど“たいした”男であり、それを女に誇示す傾向から無縁でいられない。
そういう男たちは、暇をつくることこそ、とくに愛する女のために時間を捻り出すことこそ、男の才能の真の証明であります、などどいう正論で屈服させようとしてもまったく効き目のない人種であるから、それを独占するのは、目的のためには手段を選ばず、式の戦法でいくしかない。
(略)それに、病床に横たわる男は、意外にも色気を漂わせるものです。少なくとも、たいしたことをやっているわけでもないのにやたらと忙しがる男に比べれば、ずっとステキで可愛らしい。(略)相手の自由を拘束してみたいと思うのは、魅力を感ずる人に対してだけである。それ以外は、元気で留守がいい、という部類に入ってしまう。
『男たちへ』塩野七生p167,168
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あ、ちなみに、どうでもイイと言えばどうでもイイのですが、うちの彼の良いところは、「たいしたことをやっているわけでもないのにやたらと忙しがる男」“ではない”、というのも1つであります(笑)。
でもまぁ、「たいしたことをやっている」ならまだしも、「たいしたことをやっているわけでもない」のに「やたらと忙しがる男」とは付き合う“気力”が湧かないですよね。これは、ほとんどの女性は共通の心理だと思う。
文藝春秋
塩野 七生(著)
発売日:1993-02
おすすめ度:


ローマ人の物語の著者の気軽なエッセー

手厳しい

塩野さんは良く観察しているな・・・

女こそ

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