admin
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)
マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)塩野 七生

おすすめ平均
starsマキャベリの神髄を伝える名著です。
starsマキャベリ入門書
stars例えるならプロの料理人の料理
starsマキアヴェッリの思想に触れる
starsおいしいとこ取り

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

週末に『マキアヴェッリ語録』を再読。最初は中公文庫BIBLIOのほうを再読しようと思って本棚を探したのですが、なぜか見つからなかったのでこちらを久々で読んでみました。で、私の配偶者もマキャベリ好きなので、週末は君主論ネタで久々に盛り上がってしまいました。(君主論ネタから始まり戦略論一般も入れて4時間語り合う会、みたいな感じでありましたw。)

私は高校生くらいの頃からマキャベリはけっこう好きで、長年好んで読んでいるのですが、この本って、感想を述べる、というような種類の本でもないですし(実践するための知恵かな、と。)、また、マキャベリの良さをいくら述べたところでキライな人はキライなのでしょうし、いくら貶されても好きな人は好きなんだろうな、と。

ということで、以下、ムダな解説や感想は抜きにして、本文中より引用。主に『君主論』の箇所から。




古今東西多くの賢人たちは、創造の世界にしか存在しえないような共和国や君主国を論じてきた。しかし人間にとって、いかに生きるべきかということと、実際はどう生きているのかということは、大変にかけ離れているのである。だからこそ、人間いかに生きるべきか、ばかりを論じて現実の人間の生きざまを直視しようとしない者は、現に所有するものを保持するどころか、すべてを失い破滅に向かうしかなくなるのだ。

なぜなら、なにごとにつけても善を行おうとしか考えない者は、悪しき者の間にあって破滅せざるをえない場合が多いからである。それゆえに、自分の身を保とうと思う君主(指導者)は、悪しき者であることを学ぶべきであり、しかもそれを必要に応じて使ったり使わなかったりする技術も、会得すべきなのだ。(『君主論』)



そうそう、現実認識はちゃんとしないとね、と。以下、続く。



個人の間では、法律や契約書や協定が、信義を守るのに役立つ。しかし権力者の間で信義が守られるのは、力によってのみである。(『若干の序論と考慮すべき事情をのべながらの、資金援助についての提言』)




君主はそれをしなければ国家の存続にかかわるような場合は、それをすることによって受けるであろう悪評や汚名など、いっさい気にする必要はない。なぜなら、たとえ一般には美徳(ヴィクトウ)のように見えることでも、それを行うことによって破滅につながる場合も多いからであり、また、一見すれば悪徳のように見えることでも、その結果はと見れば、共同体にとっての安全と繁栄につながる場合もあるからである。(『君主論』)




君主たる者、新たに君主になった者はことさらだが、国を守りきるためには、徳をまっとうできるなどまれだということを、頭にたたきこんでおく必要がある。国を守るためには、信義にはずれる行為でもやらねばならない場合もあるし、慈悲の心も捨てねばならないときもある。人間性もわきに寄せ、心信深さも忘れる必要に迫られる場合が多いものだ。

だからこそ、君主には、運命の風向きと事態の変化に応じて、それに適した対応の仕方が求められるのである。また、できれば良き徳からはずれないようにしながらも、必要とあれば、悪徳をも行うことを避けてはならないのである。

もちろん、このわたしの考えは、人間がみな善人ばかりであったなら、無用になるであろう。だが、人間というものは愚劣でエゴイストが多いのが現実だから、あなたもまた、自分にとって最も良かれと思う方法で行動するしかない。(『君主論』)




すなわち、成功を収めるには二つの方法があるということだ。第一の方法は法律であり、第二の方法は力である。第一の方法は、人間のものであり、第二の方法は、野獣のものである。しかも第一の方法だけでは多くの場合十分でないのが現実だから、第二の方法の助けを借りるほうが有効であることも知っておく必要がある。要するに君主は、人間的なものと野獣的なものを使い分ける能力をもっていなければならない、ということになる。(『君主論』)




古代のローマ人は、紛争に対処するに当たって、賢明な君主ならば誰もが行うことをしたのであった。つまり彼らは、目前の紛争にのみ役立つ対策を講じたのではない。将来起こりうるものにも対策を忘れなかったのだ。ローマ人は、あらゆる努力を払って、それらがまだ芽でしかないうちに、つみ取ってしまうことを忘れなかったのである。将来起こりうる紛争も、芽のうちにつみ取っていれば、対策も容易になる。医療も、効果を発揮させるには「間に合う」必要があるからだ。




この生ぬるさは、二つの原因から生まれる。第一は、現体制を謳歌している人々に対する恐怖感であり、第二は、異例の新しきことへの不信感によるものだ。

とはいえ、この問題を十分に論じるには、新秩序を打ち立てようとする者が自力で行おうとしているか、それとも他者の助けをあてにしているかで分けなければならない。後者の場合は、実行の仮定で必ず障害が生じてきて、目的を達成することは不可能になる。反対に、自力で行おうとする者は、途中でなにが起ころうと、それを越えて進むことができる。

だからこそ、武装せる預言者は勝利を収めることができるのであり、反対に、備えなき者は滅びるしかなくなるのだ。(『君主論』)



というような感じ。最後にこの言葉だけは自分用にメモ。(いやぁ、未だに、大胆さが過剰のようで、たまに怒られるのです。そういうときに、この言葉で、自分を励まそうかな、と。。)

必要に迫られた際に大胆で果敢であることは、思慮に富むことと同じと言ってよい。(『フィレンツェ史』)


うーん。要するに、「必要に迫られた際」ならば、許されるんだろうな、きっと。。
スポンサーサイト
テーマ:名言集 - ジャンル:本・雑誌


















管理者にだけ表示を許可する



| HOME |


Design by mi104c.
Copyright © 2017 IdeaFlow, All rights reserved.


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。