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先日の"『ザ・フェミニズム』をマトモに読む”シリーズ第2弾。前回と同じく【東京密室対談 他のフェミニストたちにはとても聞かせられないこと】(2001年の対談のほう)よりまとめ。

ザ・フェミニズム (ちくま文庫)
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今回の内容を要約しますと、タイトル通り『ウーマンリブと80年代フェミニズムの歴史 -「民主導」から「官主導」へ-』といった感じであります。

まず、「ウーマンリブ」と「フェミニズム」という言葉の使われ方および当時の状況に関して、お二人には認識の違いがあり、

小倉:(略)ウーマンリブがフェミニズムと名前をかけてからは、官主導だったのは事実なんじゃないですか?

上野:「あなたが出会ったのは」と限定してください。

小倉:私が出会う前に、ウーマンリブじゃないフェミニズムで、民主導の草の根フェミニズムがあったということですか?

上野:運動を細々とやっている人は、そこらじゅうにいましたよ。

小倉:それをフェミニズムと言うてました?

上野:フェミニズムと呼んでいる人もいた。

小倉:私、ウーマンリブと呼ぶんだったらよくわかるんだけど。なんか、上野さんのいう「草の根」と私の言う「草の根」は全然違う気がします。(p126-127)


というのを前提とした上で、以下、その後に続くお二人の会話の内容を引用しつつ、まとめつつ、所々で感想など。


本題の、民主導・草の根のウーマンリブから、いわゆる「行政フェミニズム」が出現するまでの状況について。

上野;ウーマンリブは70年代前半に失速しています。失速という言い方は正確じゃないな、「求心力を失った」。新宿リブセンターが解散したりして、目に見えるシンボルがなくなった。だけどそれぞれが散らばって個人化したけど、たとえば、細々とやってきた人たちがいるからね。リブの経験者でその後何もやってない人は、ほとんどいないんじゃないかな。

小倉:うん、何かやってはったからね。(以下略)

上野;(略)それが今後は、お上の印籠付きの行政フェミニズムが新しく登場した。それは外圧があったからなんですよ。国連女性の10年プラス女性差別撤廃条約という外圧。それがなかったら官はやりませんよ。

小倉;まあ、やりませんわな、官は。そこでフェミニズムという言葉に変わったんですよね。あれはいつごろ変わったのかなあ。70年代半ばに『フェミニスト』という雑誌が出ている。たしか創刊号は、オノ・ヨーコの顔写真だった。

上野:そうそう。フェミニズムと言う言葉は、もう大正期に『青鞜』の人たちが使ってるんです。全世紀末から今世紀末にかけて、世界同時多発的に起きた女性運動、結果的には女性参政運動に収束していった女権拡張運動のことを「第一波フェミニズム」というわけですが、フェミニズムという言葉はその頃からあります。


長いのでその後の歴史を上野さんの発言から要約しますと、70年代半ばに英米語圏で、それまでにいろいろな呼び名で呼ばれていた女性運動が「第二波フェミニズム」と名づけられ、その頃から、フェミニズム運動が一般にも広く拡がっていった、とのこと。そして、その動きは、日本へは、渥美育子さんなどアメリカに行ってリブに出会った人たちによって導入されていった、とのこと。詳細は以下引用部分参照。

上野;(略)最初にアメリカかぶれの人たちが「フェミニニズム」を名乗りました。それが渥美育子さんの雑誌『フェミニスト』(1977年創刊)でしたよね。渥美さんは、「『青鞜』の現代版を目指す」と明言しはったもの。

小倉;青山学院大学の先生をしてはったんですよね。

上野;私の目から見たら、ただのアメリカかぶれのお姉さんにしか見えへんかったけど。奄美さんを中心に集まった人たちは、高学歴で英米語圏に精通していて、向こうの情報がたくさん入ってて、日本では何も感じなかったくせに、アメリカ行って驚いて返ってきたというネエちゃんばっかしだった。

つまり、アメリカに行ってリブに出会って「ええっ!」と思うお前はアホかと思いました。日本でなんで「ええっ!」と思わないんだ。だって渥美さんがアメリカに行く前に、すでに日本にリブはあったんだから、いまさらアメリカ行って驚いて帰ってくるなよ、と思った。

だけど、日本のドロくさいリブとは違うと(笑)、「フェミニズム」の看板を上げはったわけですね。そのことに対する反感が、リブの人たちにはあったと思う。リブの人たちの方でも、フェミニズムとリブは違う、という態度でしたからね。(p129)


(笑)。上野さんのツッコミ、面白いです、「ただのアメリカかぶれのお姉さん」とは(笑)。70年代半ばですと、今より一層「西洋文化のほうが上」みたいな欧米コンプレックスが強かったのでしょうし(未だにアメリカ中心でしか世界経済を語れない短小コンプレックス、じゃなくて欧米コンプレックス丸出しのエコノミストもいるくらいだし。。)、「ただのアメリカかぶれのお姉さん」の民衆への威力は、さぞかし凄まじかったのかも、ですよね。

また、当時、お二人が、ウーマンリブにどのように関わっていたかというと、影響は受けたものの「運動」自体には関わっていたという事実はなく、

小倉:リブの人っていうけど、上野さん、リブの人じゃなかったの?

上野:だって、「リブの人」の自己定義は、その当時、運動に活動家として関わったということだから、私はその当時・・・。

(中略)

小倉:私は運動はしてないけど、ウーマンリブの洗礼は受けたよね、東京で。

上野:それは私もよ。

(中略)

小倉:私は新宿リブセンターに行った友人の話を聞いて、リブは活字で読んでいる分にはいいけど、行ってみると3Kだと聞いたんです。暗い、汚い、怖いって。私、汚いの嫌いなんですよ。暗いのも。で、リブセンターに行きたいとは全然思わなかった。でも、洗礼は受けた。冊子で。
(p130-131)


とのこと。そりゃあ、「暗い、汚い、怖い」なら、、行きたくないですわ(苦笑)。なお、ここで「運動」とは、「集会に出る」「ビラをまく」「リブ合宿に行く」(以上すべて上野さんの発言、p129-130)を指しており、また、当時、「リブ」と呼ばれる運動に関わっていた人たちは、これらの3つの行動を根拠とした上での「自己定義」として「リブの人」と名乗っていた(「」内は上野さんの発言より)とのこと。

そして、その後、80年代に移ると、お二人は「学識経験者」として「官主導のフェミニズムの担い手」に駆り出された(p131)とのことで、次回はそのあたりの事情についてまとめる予定。

(続く・・・)
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