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だいぶ間隔が空いてしまいましたが、『ザ・フェミニズム』をマトモに読む第5回目。内容は、タイトル通り、「性的自由」(性的人格権)と「自己所有権」の関係についてリバタリアン的見地からまとめつつ、感想など。

ザ・フェミニズム (ちくま文庫)
ザ・フェミニズム (ちくま文庫)上野 千鶴子 小倉 千加子

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まず、本エントリ最後にて正しくないと示すものの、とりあえず、上野さんの「フェミニズムは、平等を求める思想というより自由を求める思想だったはず」(p162)という発言を正しいと仮定して話を進めます

本題の「自己所有権」と「性的自由」に関して、上野さんが述べている箇所を引用しますと、以下。

上野:フェミニズムを「女権拡張論」と訳すか「女性解放思想」と訳すかは、大違いなんですよね。私は「女権拡張論」とはけっして訳さない。

では、女性解放思想とは何を求める思想だったか。フェミニズムは、平等を求める思想というより自由を求める思想だったはずなんですよ。

自由を求める、というとき、何の自由が一番根源かというと、自分の身体に対する自由。「性的自由」って自由の根源ですよ。(p162)


上記引用箇所にある通り、上野千鶴子さんは、フェミニズムを「女性解放思想」と訳すと述べた上で、フェミニズムは「自由を求める思想」だとしておられます。よって、フツーに考えると、「解放」されて「自由」になる、というプロセスが想定されているからこそ、そう述べている、と考えられます。

また、いわゆる「主婦フェミニズム」についての箇所にて、以下のように述べておられます。

上野:すでに救われたり、解放された人にはフェミニズムは無用でしょう。(p149)


よって、上野さんのフェミニズムは「すでに救われたり、解放された人には必要がない思想」であり、言い換えれば、上野さんのフェミニズムは「解放」されていない人のために存在している、ということになります。

というか、これは基本的過ぎるポイントだからか、誰もツッコミ入れてないかもしれないので、とりあえずツッコミ入れておきますと、「思想」によって「救済されるorされない」という発想が出てくるのは、ありえないですから。。大真面目に書きますと、「救済」という用語が使用されるのは、思想ではなく「神学」の分野ですから。。(要するに、宗教ってこと。。)

また「何の自由がいちばん根源かというと、自分の身体に関する自由」(p162)と述べていることから、これはリバタリアニズムにおける「自己所有権」と論拠が重なっていると推測できます。

だとすると、上野さんが述べているところの「性的自由」は、リバタリアニズムにおける自己所有権にデフォルトで含まれています。リバタリアンは、原則として「自己所有権という基本的な権利の中に無数の自由権が含まれている」と考えますので。

以下、根拠として、リバタリアニズムの入門書として有名な『自由はどこまで可能か―リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)』より引用しますと、自己所有権は以下のように述べられており、よって、「性的自由」もまた自己所有権に含まれていると解釈できます。

自己所有権は、自己の身体という自然な境界に基づいて、諸個人の道徳敵領域の間に明確な境界を設定しようとする。その領域の中では、各人は他人や政府からの強制的な干渉を受けずに自分の好きなことができるが、それを超えて他人に手出しはできない。(p36)

リバタリアンは、自己所有権という基本的な権利の中に無数の自由権が含まれていると考える。それらの自由権は、行動の性質や目的によって、信仰の自由とか集会の自由といった名前を与えられ、分類されている。しかしそれは例示にすぎず、この例示によって一般的な自由の具体化のうち示されていないもの、たとえば、就職するかフリーターでいるかの自由、ネクタイをしめるかしめないかの自由、が排除されるものではない。(p40)



自由はどこまで可能か―リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)
自由はどこまで可能か―リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)森村 進

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なお、「性的自由」は憲法13条を根拠としてすでに成立していますので、上野さんの主張は、法の枠内の正当な主張であり、妥当性があります。

憲法十三条
すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法そのほかの国政の上で、最大の尊重を必要とする。」



念のため、弁護士の角田由紀子さんの著書から該当箇所を引用しますと、次のとおり。

性的自由は、憲法が保障している基本的人権であることに異論はなかろう。憲法十三条がその根拠である。性的自由は、基本的人権である性的人格権に由来するものある。

刑法の強姦罪や強制わいせつ罪は性的自由(性的人格権)の侵害を犯罪としているが、その基本にある考え方は、性的自由が法によって保護されるべき人権であるという考え方である。(p137『性差別と暴力 続・性の法律学』角田由紀子著より)


性差別と暴力―続・性の法律学 (有斐閣選書)
性差別と暴力―続・性の法律学 (有斐閣選書)角田 由紀子

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と以上は、最初に書いたとおり、上野さんの「フェミニズムは、平等を求める思想というより自由を求める思想だったはず」(p162)という発言を正しいと仮定して話を進めてきましたが、そもそも、「解放」を求める思想というのは、「自由の思想」ではないのです。。

というか、上野千鶴子さんのフェミニズムはマルクス主義フェミニズムですので、リベラリズムではないのは当然として、以下、例示として、「自由の思想」とは何かに関する橋本努さんの文章を引用。


リベラリズム(自由主義)は自由を最大限に重んじる思想ではない。例えば、自由の意味を「解放」としてこれを重んじる思想は、マルクス主義や神学であって、リベラリズムではない。

また自由を「強制の排除」とみなしてこれを最大限に重んじる立場は、アナーキズムやリバタリアニズムであって、リベラリズムの本流からは少し外れる。

現代のリベラリズムにはさまざまなバージョンがあるので、「リベラリズムというのはこういうものだ」と総括しても、実はあまり理解したことにはならない。むしろ必要なのは、自分にとって自由とは何か、いまの社会にとって必要な自由とはどのようなものか、といった問題について、自分なりに筋の通る考えを作っていくことだろう。

(以上、「リベラリズムを考える10冊」橋本努、『インターコミュニケーション』no.33, 2000.5.


ということで、「解放」を求める思想というのは、「神学」か「マルクス主義」でしかなく「自由の思想」ではありえない、と、そのへんによくいるタイプの平凡なリバタリアンである私は思いますし、また、上野さんや小倉さんはそう自称なさってはいないものの、内容的には、アナーキズム的な思想だな、と感じました。

それと、上野千鶴子さんや小倉千加子さんのフェミニズム思想は、35歳以下の女性にとってはすでに「歴史」に分類される思想ですし、私は「歴史」として読んでいますが、いわゆる「近代家族」で育った40歳以降の方々にとってはまだまだ有効な思想だと思いました、はい。

というか、そもそも、本書内でも小倉さんが述べていましたが、必要かつ実現可能な法改正を目的としたリベラル・フェミニズム以外のすべてのフェミニズムは、各個人の「実存」に関する思想ですので、法や雇用以外の問題に関する解決を自分以外の誰かに対して「求める」というのは現実的にはありえないワケで。。

なのですが、時々、なにかを勘違いしているとしか思えない自称「フェミニズム運動家」に遭遇することがあり、なんだかな、と。。(そういう人って、ブログ界隈にも時々いるよ。。たぶん、公的領域に関わる政治経済思想と、私的領域に関わる哲学・思想、という分類が、そういう人たちの脳内には無いのかも、と思ったりも。)

ついでに書くと、「自由の思想」があるとすれば、政治経済思想としてはリバタリアニズム、各個人のレベルで「自分にとっての自由」を考えるならば、既成の思想はこれといって無く、上で橋本努さんが書いているように「自分なりに筋の通る考えを作っていく」しかないんじゃないのかな、と。

私は、上野千鶴子さんや小倉千賀子さんのように、独自のフェミニズム思想を考えた方々は尊敬しますが、ココで引用したような自分たちの下らない結婚生活を維持する道具として、お二人の書籍や講演会を「ガス抜き」や「知的愛具物」として使用しているような人たちや、「フェミニズム運動」や「女性運動」などと称して自分たちの下らなさに向き合わず、「弱者をまもる自分に酔いしれ、余計な手をさしのべてスポイル」するだけの「自称サヨク」な人たちは、ちょっと軽蔑しますわ。。(以下参照)


改めなければいけないのは、「してもらう」主義の傲慢な依存体質である。政治家であれ、教師であれ、親であれ、なんらかの意味で「権力」を持つ者がこの状況をなんとかしたいと思うなら、「弱者をまもる」自分に酔いしれ、余計な手をさしのべてスポイルしないことである。必要なことは、心を鬼にして「自立」を促すことである。

(p114、『国家は僕らをまもらない―愛と自由の憲法論 』



ということで、まとめますと、性的自由は、憲法十三条において規定されている基本的人権にすでに含まれており、また、リバタリアニズムにおける自己所有権にも含まれています。あと、とにかく、解放の思想というのは自由の思想ではなく、マルクス主義か神学ですので、勘違いしないように、という感じかな、と。。

次回は、上野千鶴子さんの「結婚」の定義周辺について、まとめる予定。

(続く・・・・・)
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