この前の
『カルト資本主義』との関連で、再読。
2000年出版の本なので、情報内容としては古いですが、引用文献もちゃんとある、論文が元となった「社会学書」ですので、現在でも読む価値はあります。最近だと、この本(↓)との関連で読むと吉かも、です。
で、再読したついでに以下メモ化。
本書の目的は、「
心理主義化」の意味を「心理学的知識」を「知識社会学的に分析する」ことによって明らかにすること。
用語を以下まとめますと、ここで
「心理主義化」とは、
心理学や精神医学の知識や技法が多くの人に受け入れられることによって、社会から個人の内面へと人々の関心が移行する傾向および「共感」や相手の「きもち」あるいは「自己実現」を重要視する傾向(p9)
であり、特徴としては、
一見、社会的状況が生み出しているように思える問題も、実は個人の性格に原因があると解釈するように促す傾向があり、このような傾向は、「自明視された社会的状況を問い直すことなく、適応できない自分や他者を過剰に責める結果となる」(p18)
「心理学的知識」とは「臨床心理学やカウンセリング、精神科医らが提供する知識のうち、素人が接触・受容する可能性が高いもの」を指す。(カウンセリング講座や自己啓発書、心理学的自助マニュアルなど。)
知識社会学とは、人々の間で受け入れられて信じられている知識や思想を分析することにで、社会的状況の特徴を明らかにしようとする、社会学の一立場であり、
知識社会学の基本的問いは、
1.ある特定の知識や思想を人々が信じ受け入れる社会的状況の特徴とは何か
2.ある特定の知識は、人々に「正しい」知識として信じ受け入れられることで、どのような社会的状況を形成する効果を発揮しているのか
であり、本書においても、この基本的問いの形式と同じく、
1.心理学的知識を人々が信じ受け入れる社会的状況の特性とは何か
2.心理学的知識は人々に「正しい」知識として信じ受け入れられることで、どのような社会的状況を形成する効果を発揮しているのか
という問いに答える形で、論理が構成されている。そして、キーワードとなるのは、
「現在の社会的状況を支える中心的規範」としての、人格崇拝(けっして自他の人格を傷つけてはならない)と、マクドナルド化(予定に従って物事を効率的に進行させなければならない)であり、
この2つの規範は、社会の心理主義化によって、より高度で厳格なものになってきており、一方で、滑らかでスムーズな人間関係を生み出すけれども、他方では、息苦しくさせるような状況をも創出している。(P19)
で、細かいところはおいといて、
「自己心理学」と呼ばれる分野がありまして、要するに、「自尊心(セフル・エスチーム)」や「アダルトチルドレン」「自己愛」などの用語が出てくる擬似心理学なのですが、某精神科医が著書で多用して広めてしまったようで、けっこう問題だな、と思ったりはする。(あと、いわゆる精神分析という代物はもはや古くなりすぎて意味はない状況になっているのですが、未だにいわゆる「恋愛本」や「人間関係本」では使用されているので、あれもどうかな、と思ったりする。ユングとかフロイトとか。。)
心理学者P.ヴィッツは、「現代心理学が個々人の自己を崇拝する宗教となってきていると主張」しており、典型例が「自尊心(self esteem)概念で、この害根は、ロジャースやマズローらの自己理論に共通する特徴だとしている、らしいです。そして、
「自尊心概念が複雑な概念であり、極めて多様でしかも曖昧な仕方で定義・測定されてきたこと、および、どのような定義を用いたとしても自尊心の肯定によってその人がどのような行動を選択するかを予測することはほとんど不可能である」ことを論じている。(p115)
要するに、自尊心の程度と行動の種類の間には信頼できる相関関係は見出されない。にもかかわらず、いまだに教育界をはじめとする多くのアメリカ人が自尊心の向上に熱中しているのは、現代アメリカが個々人の自己を崇拝対象とする「宗教としての心理学」のとりこになっているためだとヴィッツは主張(p116)
しているそうです。そして、
自己心理学はそもそも「患者」という消費者のニーズを満たすことを治療方法として採用し、消費者のニーズに応えていくなかで、自己愛を中核とする自己心理学理論を構築してきた。この理論によると、「治療者との関係を消費することで、健全な自己愛が育ち、自信がもてるようになって本当によくなる」ことになる。
「消費」とは、「人が欲望を満たすために財・サービスを使うこと」であるなら、自己心理学の勧めているのは、「自己愛・人格崇拝という欲望を満たすために、治療者や親、周囲の人を使うこと」、つまり、他者の消費、あるいは、他者との関係の消費だといえよう。(p124)
要するに、
自己心理学と広告の論理は、「消費によって自分を解放する」という点で共通している(P125)とのことで、本書においては、高度な感情コントロールを要請する社会は、人格崇拝の高度化した社会であり、それを推し進めてきたのが心理学や消費社会である、とされている。
でも、合理化を推し進めれば推し進めるほど「非合理」な状況が出現するもので、その点に関しては「合理性の非合理性」として、最後に説明されている。
合理性の非合理性
1.マクドナルド化は、非効率・計算不可能性・予測不可能性・コントロールの欠落を導く。(例:ファーストフードレストランの長い行列)
2.合理的システムはシステム内で働く人とシステムからサービスを受ける人の両方から、人間性や理性を奪い取る
で、詳しくはこちらを参照のこと。